中村順司(PL学園)
神奈川新聞 特別連載
K100 神奈川高校野球
全国のライバル編
中村順司(PL学園)
連載記事
・怪物との巡り合わせ
関連試合
・1998年春 PL学園vs横浜
・1983年夏 PL学園vs横浜商業
神奈川新聞 特別連載
K100 神奈川高校野球
全国のライバル編
中村順司(PL学園)
連載記事
・怪物との巡り合わせ
関連試合
・1998年春 PL学園vs横浜
・1983年夏 PL学園vs横浜商業
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中村監督
甲子園の勝利の数だけではなく
真の名将と呼べる方ですね☆
中村監督に直接お話をお聞きしたことはなく、著書等々を拝見したこともありませんが、
甲子園を沸かせてくださった指揮官の方々の中でも、出色の理論派ではなかったでしょうか?
名勝負ののちに
新聞や雑誌への振り返りのコメントを読むと、細やかで緻密な分析とそれに向けての自軍の対応法が分かりやすく記されていたことを思い出します。
激戦区大阪において
あれだけの甲子園出場回数を重ね、しかも甲子園通算勝利数が物語るように、その頂点を何度も極めたこと。
これは中村監督の
選手にマッチした
チームにマッチした
分かりやすく的確な指導が見事に浸透した証であると私は確信しています!
桑田・清原はじめスター軍団でしたが、その心を束ねることのむずかしさを、気づかずそして忘れている方々のあまりにも多いことを私は残念に思います。
中村監督の手腕の高さのひとつに、選手のメンタルを常に安定した状態にまとめそして束ねる、選手と織り成す最高の信頼関係がそこに存在したことを強く感じます。
戦略のその根幹は
鉄壁の守備陣の構築であったことを、私は信じて疑いません!!
野球そしてスポーツにとどまらず、いくらすぐれた理論を持っていても、それを的確に伝え教えるコーチングスキルが不足している指導者が多数存在するのも現実です。
それゆえに他校が羨むような好選手を欲しいままに集めても、必ずしも夢舞台が掴めないことも現実と呼べます。
昨今
野球人口の減少
練習時間と日数の制約
勉強と野球の両立
地域をあまりにも越えたスカウティングの在り方
等々高校野球を取り巻く環境の変化とテーマの変化がありますが、最終的に球児が選び進める高校はたったの一校だけです。
だからこそ
卒業してからも一生涯に渡って
あの高校で
あの監督のもとで
高校野球を完全燃焼できたことに悔いはない!
そう心から振り返ることのできる指導者・監督であってほしいと私は切望します。
時代は移りましたが、名将中村監督はきっとおそらく選手たちからそう慕われ続ける人格者であったと私は思います。